食べるということ

私達は食事をしますが、では一体何のためにたべるのでしょう。

「楽しむため」そういう答え方もありますよね。

まぁ「生きるためのエネルギーを得るため」と答えるのが普通ですね。「食べたものが体内で燃やされて体温になり、熱エネルギーとなって、細胞を動かす」という考え方です。

半分は正解です。

こういう実験をした研究者がいます。彼の名はルドルフ・シェーンハイマー。ドイツからニューヨーク・コロンビア大学に移籍した20世紀の偉大な科学者です。

実験の内容を簡単に言いますと、マウスに食事を与え、その食事(食べたものの原子に色付けをし)がその後体内でどうなったかを追跡したという実験です。食べ物の原子は燃やされて呼気となって体から出てくるのか?あるいは糞尿となって排泄されてエネルギーが使われた燃えカスとなって出てくるのか?そういうことを原子レベルで調査したわけですね。そうしたら確かに食べ物の半分はエネルギーとして燃やされたんですが、あとの半分はと言いますと燃やされずにマウスの頭の先から尻尾の先まで体全体に散らばって、あらゆるところに溶け込んでしまったということなんです。

車で言えばガソリンはエネルギーとしての燃料ですが、ガソリンは走りながらハンドルやシートやバックミラーに置き換わることはないですよね。

「生きている」ということは体の中で合成と分解が絶え間なくグルグルと廻っているということなんです。その流れこそが「生きている」ということ。私達はそのグルグルの中で全体として一定のバランス(恒常性)を保っていて、半年も経てば自分を構成している原子はすっかり食べたものと入れ替わっているということのようです。爪や髪や皮膚が新陳代謝されるように、骨も、脳細胞も、心臓もすべてです。そう考えれば半年前の自分は今の自分ではない。(原子レベルで言えば、ですが…笑)

半年前に私を構成していた原子は、草や、木や、虫や、動物になっているかもしれませんし、半年前に草や、木や、虫や、動物を構成していたものが、今は私になっているかもしれない。

シェーンハイマーはこう言っています。「生命は機械なんかじゃないよ。生命は流れだよ。」

何かを体内に取り入れる、すなわち食べるということがとても崇高な行為に感じられますね。

(参照:「せいめいの話」著:福岡伸一 新潮文庫